浅草花やしきについて

浅草花やしきは、江戸時代末期嘉永6年(1853年)に造園師森田六三郎により、牡丹と菊細工を主とした花園(かえん)として誕生しました。明治5年頃からは遊戯施設が置かれ、その他にも珍鳥や猛獣の飼育、西洋あやつり大写真や山雀の芸等で大評判となり、かの大正天皇もお忍びで来園されるほど人気を博しました。

その後、震災や戦禍により閉園を余儀なくされた時代を経て、昭和24年(1949年)に遊園地として再建しました。当初はビックリハウス、豆汽車、射的、鬼退治等、規模は小さかったものの、入園無料の憩いの場として広く大勢の方々にご利用いただきました。

昭和28年(1953年)に日本現存最古のコースター『ローラーコースター』、昭和35年(1960年)に『人工衛星塔(のちのBeeタワー)』を設置、どちらも浅草の名物となり、街の発展に大きく寄与しました。
昭和60年(1985年)2月には、開園以来続けてきた入園無料の形態を風営法の規制により変更せざるを得なくなり、有料遊園地として再スタートしました。
2016年10月より、初の試みとなるイルミネーション営業を開催。さくら浪漫をテーマに昼間とは異なる光の空間を創り出すことでより幅広いお客様にお楽しみ頂いております。
現在は17機種のアトラクションと縁日、飲食店舗が所狭しと立ち並ぶ浅草の遊園地として親しまれています。

また、2016年9月に『Beeタワー』が引退し、その跡地に新たなシンボルとなるホール『浅草花劇場』を2019年4月にオープン。今後は、遊園地や新ホール内で季節ごとのショーやイベントを開催することでさまざまな娯楽をお楽しみいただけるような「遊びの場」を提供してまいります。

今後も浅草ならではの魅力を取り込み、街と共存共栄し、活性化を図ってまいります。

 

浅草花やしきの歴史

嘉永6年1853造園師・森田六三郎により「花屋敷」誕生 浅草寺より拝領(2400坪)
安政3年185680数種類の大輪の菊を見世物とし人気
明治 5年1872遊具施設が置かれるようになり、珍鳥などの展示が始まる
19年1886動物を見世物とするようになる
37年1904「大阪 第5回内国勧業博覧会」に出展された動物を買いうけて園内に展示する
大正 4年1929チリからペンギン1羽がやってきた
12年1923世界でも珍しい トラの5つ子誕生。関東大震災で動物も被災。
昭和 5年1930「鳥獣供養碑」 建立
16年1941「松竹」大谷竹次郎出資【合資会社浅草花屋敷(劇場遊園地)】に改称。
軽演劇、映画などの各劇場や、「小馬にひかせるおとぎの馬車」・「豆プール」・「豆汽車」・「メリーゴーランド(回転木馬)」・「紙芝居」などを設置し、人気を集める
19年1944空襲に備える「建物疎開令」により木造建築物の全てを取り壊し、営業中止となる
22年1947「合資会社浅草花屋敷(松竹)」と「東洋娯楽機」との共同経営へ。【浅草花屋敷】再び遊園地として開園
24年1949東洋娯楽機の単独経営となり【浅草花やしき】と改名する
28年1953日本現存最古となるローラーコースター「読売ロケットコースター」営業開始
35年1960当時日本一の高さ約40mの「人工衛星塔」設置。※2016年9月営業終了
60年1985風営法回避のため入園無料から有料になる
平成 2年1990結婚式がきっかけで、夜の「園貸し切り」が開始となる
16年2004株式会社花やしきが新たに運営開始
20年2008遊園地内に多目的ホール「花やしき座」が登場 ※2019年9月終了
22年2010オリジナルとなる本格プロレス「ハナヤシキプロレスリング」がスタート
25年2013日本記念日協会より「8月7日花やしきの日」の認定を受ける
28年2016花やしき初となるイルミネーション営業「ルミヤシキ」スタート
29年2017歴史ある「振袖学院」を「花振袖」として継承する ※2021年3月終了
31年20194月28日ホール「浅草花劇場(あさくさかげきじょう)」オープン